勘違いの他人軸
「どうか、皆さまの心に息づいている母の姿・母との思い出をいつまでも大切にしていただければ幸いに存じます。・・・」
母の告別式で務めた親族代表の挨拶はそんな言葉で締めました。
数か月にわたる母の看病・介護生活で実感したことがあります。
母とご縁ある沢山の方々とお話する機会を持ちましたが
そこで浮き上がってくる「母の人物像」が皆違うのです。
付き合いの長さや関係性によって違ってくるということは十分推測できますが、
「人物像」を創り上げているのはやはりその人の持つ「観念」というフィルターなのだな。
つまり「その人の心の投影」だな。(根元裕幸さん・「投影と活用方法~人は心の鏡」よりリンクさせていただきました)
ということを実感しました。
だから冒頭の言葉で挨拶を締めました。
この期間、姉と母について話すことも多くあり、
姉が語る幼い頃の母の思い出や姉の抱く「母親像」は私の知らない「母親像」でした。
姉は母の姿や態度から沢山のメッセージを受け取っていました。
おそらく私以上に。
姉の「母親像」、私が抱く「母親像」もそれぞれ心の投影なのだと実感しました。
つまり、ご縁ある方々の心に投影の結果としての「母」が存在するのです。
つまり、ご縁ある人の数だけ「母の人物像」が存在します。
「母の本当の姿」は誰も分からない。究極「無い」と言っても過言ではないでしょう。
だから何が言いたいかというと
「あの人は○○な人だから」
「この人のこんなところに気をつけて」
人様からのこの種の親切そうな助言はあてにならない、ということです。
また、
「あなたは○○な人」
「もっとこうするべき」
というあなたへの指摘や忠告もあてになりません。
皆、その人の心の投影で捉えていることに過ぎませんから。
それに惑わされたり、応えられないからと自分を否定したりする必要はないのです。
このからくりを理解するだけでもかなり生きやすくなると思います。
だからどうすればいいのかというと
自分の心の在り方にフォーカスしていればいい、ということです。
「あの人はどう感じているだろう」
「どう思われているだろう」
と気にしても、あの人がどう感じているか、どう思われているかは
永遠に分かりません。
「こう感じているのでは」
「こう思われているのでは」
という推測は、あなたの心の投影として起こっているに過ぎません。
人の気持ちが分かる、という人は分かった「つもり」になっているだけ。
実は勘違い、見当違いであることがほとんどです。
つまり、人から良く思われなくてはという「他人軸」で生き続けると
勘違いが積み重なり矛盾が生じ悩みや生きにくさに繋がるのです。
私たちが認識できるのは「自分の心の状態」です。
今、嬉しいのか、悲しいのか。
楽しいのか、怒っているのか。
気分がいいのか、不安なのか。
「私はどう感じているのだろう」
「私はどんな気分なんだろう」
と、自分の心の状態にフォーカスすることがとても大切です。
それが生きやすさを取り戻す第一歩です。
しかし、「周りに合わせる」ことを良しとする風潮の中に身を置いているうちに
自分の心の状態がどうなのかを感じることさえ麻痺させて
勘違いの他人軸で生きている人のなんと多いことか。
「実はしんどい」に気づかずに頑張り続けている人のなんと多いことか。
私もそうでした。
だから、行き詰まりや悩みはその勘違いに気づき次元上昇するチャンス。
ご自身の内なる心と向き合う勇気を持った人に送られるギフトなのです。
投稿者プロフィール
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あなたとあなたの魂を繋げるカウンセラー・ピアノ講師・愛猫家。
我が子の不登校をきっかけに心理に興味を持ち、「ビリーフリセット心理学」認定カウンセラーに。その後も「いのち・魂」をテーマとする自己探求を続け、「心理」と「真理」を網羅した講座やカウンセリングを提供している。
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