「非日常」の日常を語る。

久しぶりのブログ更新となりました。

終末医療を受けながら自宅療養をしている同居の実母を看てひと月が経ちました。

奇跡的な回復を見せて母の「家で生活したい」という願いを叶えてきました。

その間、速度を変えながらも衰弱の一途はとどまることはなく体重も減り続けています。

32㎏になったところで、体調管理のためとお医者様から課せられた毎日の体重計測・記録は打ち切りました。

私は静かに混沌としながら日々の対応に精一杯でブログに向かうことは出来ませんでした。

 

でも今日は書きたくなりました。

 

母の消えゆく命の灯・母の「生ききる」姿を見守り続け様々な感情を味わっています。

そんな「非日常」とも言える日常の中で、私は自分の心の在り方を模索する日々でした。

ビリーフリセット理論をはじめとする心の学びは

  • 余計な思考に振り回されなくなり必要以上に感傷に浸らずにいられる
  • 罪悪感からかなり解放されていることでストレスが溜まりにくくなっている
  • 常に自分の状態を客観視できている

という点で大いに私の救いとなっています。

 

そして「母を看取る」という人生の大仕事と対峙している中で最も必要とした「教え」は

「出来事に意味づけは不要。ただ起こっているだけ。ただ在るだけ。」

というものでした。

 

そこから様々な発見がありました。

「気持ちや行動の純度」がより明確に区別できるようになりました。

つまり、この気持ちや行動の源は「愛」なのか、それとも「自我・エゴ」なのか。

母の命と向き合いながらの生活には、純度の高い「愛」のひとときが沢山ありました。

しかしエゴの勢力は凄まじく、その声はいつもとどろきます。

辛くなります。苦しくなります。悲しくなります。イライラします。

 

エゴの声と分かっていても避けることはせず(できない)そのまま聞き取ります。

エゴに包まれている私をただ「見つめる」のです。

ときには「そうなんだね」といたわる。

これはエゴの声なんだと気づく。また気づく。ただ気づく。

気づきながら七転八倒。辛い時間。でも私は私をいたわり続けます。

 

そのうち鉛色の曇天に晴れ間がさすようにスッキリします。

スッキリした感覚の中でまた「愛」を携えます。

↑この繰り返しでした。

 

また、気を張り続けて知らず知らずため込んでいたものは

何かのきっかけで涙となって流れ出てきます。

先日、なぜか泣けて泣けて何も出来なくなって数時間寝込みました。

これは「心の蓋が開いたね。良かったね。」なのです。

涙は温かく心地よく浄化の作用があります。

そしてまたスッキリします。

 

良い悪いもない。

優劣もない。

ダメもない。

上下もない。

 

そんな世界観が腑に落ちてくると、また、その世界観を信じようと決心(選択)すると、

ありのままの自分自身や置かれている環境・状況を受け止められるようになります。

 

強くなろうとか、

ちゃんとしようとか、

役立とうとか。

弱い自分はダメとか、

そうなれない自分は愚かだとか。

 

本当の意味で「自分を生きる」には、上記の思考は必要ないのです。

「自分を生きる」とは、今ここに在る自分の尊さを認めることなのです。

自分の感覚を鋭敏にし認めることなのです。

(突き詰めると「自分」ではないのですが段階としてまず「自分」。)

 

すると、「負」のような要素もOKになります。

苦しんでもいいし悲しくてもいいしイライラしてもいいのです。

そこに「良くない」とか「弱い」「ダメ」などの意味づけさえしなければ、それはただの感情(エネルギー)です。

受け止めて感じておしまい。

 

何もかも受け止めて澄みわたる視界・静寂な優しさを感じた時、「今ここ」の至福を感じることができます。

 

ここ数日母の衰弱が加速し、せん妄も始まっています。

が、上記のように在り方を調えながら「今ここ」に集中し

「愛」を基軸とした母との残された日々を大切に過ごしたいと思います。

 

なるようにしかならないしなんとかなる。

流れにゆだねる。

 

母の詳しい様子はこちらの過去記事をご覧ください↓

投稿者プロフィール

あらいかずこ
あらいかずこ
あなたとあなたの魂を繋げるカウンセラー・ピアノ講師・愛猫家。

我が子の不登校をきっかけに心理に興味を持ち、「ビリーフリセット心理学」認定カウンセラーに。その後も「いのち・魂」をテーマとする自己探求を続け、「心理」と「真理」を網羅した講座やカウンセリングを提供している。
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