悩みの突破口は、「自分がいかに偏りある思考の持ち主か」を自覚することだったりする

懐かしの過去記事を少し加筆修正して載せます。

3年前までの私は、多数派社会になんとなく窮屈さを感じでもそこから抜けだそうなんて考えも及びませんでした。

自分は常識人だと思っていましたし。バランスとって渡り歩くのが上手だと思っていました。

しかしそれが「良い」と断言できるものではなく、実は偏った思考から不器用に生きてきただけなのだ、と、ここにきて思い知らされたわけです。

ではここで、過去の「偏った思考」を紹介しまーす!(=゚ω゚)ノ(←軽すぎるノリ)

〇先生の言うことはきくものだ

〇学校には行くものだ

〇授業は(面白くなくても)きちんと受けるものだ

〇納得いかないことがあっても先生に異論を唱えてはいけない

〇お叱りを受けたら「有り難いもの」として受け止めなければならない

〇厳しい環境を乗り越えてこそ力がつく

〇成績優秀が良い

〇学歴は高い方が良い

〇人の立場を考える

〇協調性を持って行動する

〇場の空気を読む

〇人に迷惑をかけてはいけない

〇結婚後も仕事を続けて高収入を維持し、家族・子供に貢献する

〇夫は物わかりが良くて子煩悩であるべし

・・・出そうとすればもっと出てきます(苦笑)

 

私らしく人生を歩んできたつもりでしたが、上記の観念で生きてきてウン十年。

周りに合わせることを第一に、波風立てないことを第一に、本心を押し殺し、沢山の鎧を身にまとってきたことに気づかされたのです。

つまり「鎧」とは・・・「このままの自分はダメ」という自己否定を前提に、それを補おうとして頑張って身につけてきたもの。これは楽しくないです。苦しいです。

でも、「楽しくない」とか「苦しい」とかいう感情さえ封印してきたワタクシ・・・・

「怒り」の感情を抱くなんてとんでもなくて、封印していたことを最近まで気が付きませんでした。

これらの事が判明したときは愕然としましたが、向き合うと、価値観がグルルル~と代わり、「常識」と思っていたことが常識でなくなりました。

自分の「あたりまえ」「こうあるべき」は、生き抜くために必要な(必要と思い込んでいた)考えなので、持っていたければ持っていてもいいのです。が、大きな壁にぶつかった時・突破口が見つからない時は、まず自分の「あたりまえ」を見直す。

そこを通り抜けてやっと、やっと、不登校だった娘の視点に立てました。

投稿者プロフィール

あらいかずこ
あらいかずこ
あなたとあなたの魂を繋げるカウンセラー・ピアノ講師・愛猫家。

我が子の不登校をきっかけに心理に興味を持ち、「ビリーフリセット心理学」認定カウンセラーに。その後も「いのち・魂」をテーマとする自己探求を続け、「魂と繋がり軽やかに生きる」カウンセリングを提供している。
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