今朝、私の心に限界が来た。「あ、無理してた」に気づかされた。

今、気分が沈んでいます。

それも俯瞰します。

「あー、沈んでいるんだな」と。

これがまた静かで心地よい感覚なのです。

 

心理を学びビリーフを学び自分の心を深掘りして瞑想もして。

スピリチュアルや量子論も学んで。

その都度その都度新しい発見や自分の深い所にアクセスして「視界が広がる」を実感してきているのに

キレイさっぱり明るくなりました、と私は言えません。

 

むしろ、暗い部分・闇の部分が簡単に浮き出てくるようになりました。

蓋をしている心の深い部分・見たくない部分に光をあてることを許可しているから。

心の反応がすぐにキャッチできてしまうから。

 

このような体質になると「イヤだ」「しんどい」に敏感になりある意味とても面倒なのですが

迂回路はないのだ、近道もないのだと実感しています。

負の感情はあっていい。

むしろ封印してはいけない。

 

人生「成果を出す」ことや「楽しく生きる」こと、「無難である」こと、

「人のために役立つ」こと、「前向きである」こと・・・・

それぞれの感覚で「こうあるべき」に執着し結果として自分の「本当」に蓋をする。

「本当」はドロドロしてるしジメジメしてる。

そこを見ないまま一生を終える、も悪くないかもしれない。

 

しかし、心に蓋をしているというのは「偽りの観念」で生きていることになり、

それを無意識に人(子供)にも押し付けることになる。

「あなたも本心を隠して偽りで生きなさい」と。

そうする方が波風立たないから・危険にさらされないから・あなたのために・・・

 

それはある意味加害者だ。

そしてそれは、自分の親からもされていた。

 

あなたは加害者でもあり被害者でもある。

脈々と受け継がれてきた「偽り」の世界。

被害者にもなり加害者にもなることは避けられないことだったのだ。

だからあなたが悪いわけではない。

親も悪いわけではない。

負の循環の歴史があまりにも壮大で抗うことができなかった。

その中でバランスを取るしかなかった。

 

しかし今、そこに気づく人がどんどん増えている。

私は子供から気づかされた。

例えば離婚・金銭的トラブル・大切な人との死別・鬱などの病気・・・・

いわゆる「不幸」とされる出来事に遭遇しない限りなかなか気づけないが、

今そのことを説くあらゆるアプローチが存在している。

ビリーフリセット心理学もその一つだ。

私たちの世代でこの負の循環を止められるのか、否かはその人の選択にかかっている。

 

負の循環を止める第一歩は、社会や制度と闘うことではなく

自分の「本当」を知る・向き合うということである。

 

偽って生きる、などという表現は辛口かもしれないし抵抗を感じる人もいるかもしれない。

一生懸命生きている人には本当に大きなお世話な言葉だし

「偽り」などと言われれば腹立たしくもなるだろう。

 

しかし心を学ぶとそこにどんどん気づくようになるのだ。

そして、次から次へと自分の「偽り」「痛み」に気づかされるのだ。

そこと向き合うのは辛いことでもある。

が、果てしなく深く優しい世界でもある。

「本当」に出会い寄り添うとそんな境地にいざなわれるのだ。

 

心を学ぶことの最大の恩恵は

むやみに自己否定しなくなる、ということだ。

 

今朝、私の心に限界が来た。

「あ、無理してた」に気づかされた。

ちょっとしたきっかけだが、

そこに「これ以上頑張れないよ」という私のインナーチャイルドが疼いたので

チャイルドの悲しい感情・泣きたい衝動を迎え入れてあげた。

 

まだ寝ている夫を起こして「限界だ」と告げた。

「限界な感じと向き合うから。沈むといつか浮上するから。大丈夫だからね」

と言って私は布団に再びもぐりこみ、噴き出てくるに任せて泣いた。

 

朝の家事を強制的に夫や子供に受け渡し、私は布団の中で子供のように泣きじゃくった。

泣けてしまうのだ。感情が噴き出ているのだ。

そしてこれがとても心地よい。

何十年としまいこんだ涙が出てきているのだから。

「べき」「ねば」の観念が標準装備されて弱音や本音を封印してきた

子供のころの私の溜めこんできた涙だ。

 

「よく出てきたね」と、大人の私が子供の私を抱きしめる。

本当に心地よい。

猫が寄り添ってくれている。

 

これが私流「心の蓋をしている部分に光をあてる」ということだ。

今まで何度もやっている。

ちゃんと光を当てて浄化させてあげるのだ。

そのあと、心が自由になる感覚を掴む。

「そのままの私でいいんだよ」になるのだ。

 

涙を出し尽くしてリビングに戻ると、夫と息子がキッチンに立っている。

夫に「ありがとう」と伝える。

息子に「ママ、ちょっと調子悪くなっちゃってお弁当作れなくてごめんね」言ったら

「大丈夫。行ってきます」とサラリと言い残し登校した。

 

とまあ、本当のことなので美談のような家族の反応も書いたけれど、

限界がくると周りの反応はどうでもよくなります。

人からどう思われるかは関係なくなります。

だから落ち込むって悪いことではないし、むしろチャンスなんだよ。

「周りより自分優先」にたどり着けるからね。

 

心なんてそうそう簡単に解放されるものではない。

何十年と偽って蓋をして生きてきたのだから。

そして、

こんなにも踏ん張って頑張ってきた自分が切なくも愛おしい。

 

時間をかけてゆっくりでいい。

人と比べることもない。

「早くあらねば」も幻想だ。

気づいた人から、ゆっくりゆっくり「本当」を発掘すればいい。

それが「生きる」ということなんだな。

投稿者プロフィール

あらいかずこ
あらいかずこ
あなたとあなたの魂を繋げるカウンセラー・ピアノ講師・愛猫家。

我が子の不登校をきっかけに心理に興味を持ち、大塚あやこさん考案の「ビリーフリセット心理学」認定カウンセラーに。その後も「いのち・魂」をテーマとする自己探求を続け、「魂と繋がり軽やかに生きる」カウンセリングを提供している。
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