心を観察する大切さ(ちょっとスピ話も)

前回「カウンセラーを続けていられるのは」という記事で

このようなことを書きました。

カウンセラーであっても、

悩みもするし

泥臭いし

ムッとするし

感情的になるし

泣きたいときは声を上げて泣くし

弱いし

怒るし

立ち止まるし

遅いし

不器用だ。

むしろそれを、どんどん受け入れている。

そう。

生身の人間であることを受け入れるのだ。

喜怒哀楽に翻弄されることを受けれるのだ。

 

ここについて補足したいことがあります。

悩みもするし

泥臭いし

ムッとするし

感情的になるし

泣きたいときは声を上げて泣くし

弱いし

怒るし

立ち止まるし

遅いし

不器用だ。

・・・・・

え~、それって、なんだか全然成長していない感じがするし、

もとのダメな自分に戻るだけじゃん。

という印象を持つ方もいるかもしれません。

 

でも、そうじゃないんです。

心を学ぶ前と後では、また、自分の心を掘り下げる前と後では

決定的な違いがあります。

 

それは、後者は、その人の中に「観察者がいる」ということです。

 

いつになったら楽になれるのか?

心を探求しても探求しても掘り下げても情報を集めても楽にならない。

「そのままの自分」を受け入れているのに、

楽になるどころか余計に苦しくなる。

 

このような時期が私はやってきましたし、周りでもそういう方を多く見受けられます。

 

この時期は「自分を受け入れる」ことの理解がまだ浅い段階です。

あ、これは否定しているのではなくて、段階として誰でも通過するところ、なんです。

「よし、どんな自分も受け入れよう」と言い聞かせても苦しくなる。

それは、どこかにまだ「受け入れていない」要素があるからなんです。

100%自分を受け入れるって、なかなか難しいです。

私も100%ではないです。

 

「心を探求すればこうなるだろう・こうなれるだろう」という青写真を無意識に持ち、

「こうなるはずなのになかなかそこに至らない」というジレンマに陥る、ということもあります。

なので、なかなか楽になれないなあという人は、

「どんな思い込みの青写真を抱いているのだろう?」

「まだ受け入れていない自分の要素は何だろう」

というところを向き合ってみるといいかもしれません。

 

例えば私の場合は

ああ、人と比べていたなあ

進みが遅い自分を許していないんだな

焦ってるな

ということに気づき

そもそも「こうなりたい」という思い自体が鎧かもしれない!

ということにも気づいちゃいました(苦笑)

 

こんなに掘り続けているのにまだまだ出てくる心のブロック、鎧。

気が遠くなりました(笑)。

 

その時は「心を探求することの果てしなさ」にげんなりしました。

が、ここまで来ると元に戻れないんですよ。

途中段階でも自分の真実が見えてきているから。

探求を続ける方向に行くしかないんです。

 

「ああ~、もう、こんなことしてどうなるんだろう」

「結局無駄なんじゃないのかなー」

と、家のベランダで1人メソメソしながら迷走、じゃなくて瞑想していたら、

(さあ、ここからアヤシイ話になるので嫌な方は華麗にスルーしてください)

 

「そのままで(行きなさい)」(行きなさい)は私が解釈して付け加えた言葉です)

 

という言葉が降ってきたのです。

びっくりして、瞬間、全身総毛立って涙がボロボロ出てきました。

 

いいんです、あやしいとかおかしいとか思われてもいいんです。

ここで私が言いたいのは、「そのままで」を採用したということ。

私がそのとき一番欲しかった言葉だったんです。

私はこのまま進みたかったんです。

それを私の心の深いところが「あ~、もう、見てらんないよ」とメッセージを贈ってくれたのかな~

という解釈をしています。

 

で、5%の顕在意識だけでは計り知れないものが潜在意識にはあるのだなーという実感と、

計り知れないものに守られている、という感覚から、

深いエリアと繋がる、ということが私の中でテーマになっていったわけです。

 

話がずいぶんズレました!(笑)

「観察者を立てる」の話に戻します。

苦しい時期も淡々と気づいて気づいて掘り下げて、を繰り返し

結局、

悩みもするし

泥臭いし

ムッとするし

感情的になるし

泣きたいときは声を上げて泣くし

弱いし

怒るし

立ち止まるし

遅いし

不器用だ。

は、無くせないなあ。と、私は思い知ることとなるのです。

だって、何年も探求し続けてもマイナス感情は出てくるんだもの

あ、頻度は減りました。

心の揺らぎ具合も以前より穏やかになりました。

 

でも、ゼロにはならない。すっかりあきらめて、

悩みもするし

泥臭いし

ムッとするし

感情的になるし

泣きたいときは声を上げて泣くし

弱いし

怒るし

立ち止まるし

遅いし

不器用だ。

をOKにしたらむしろ楽になった。

そして、心の深いところの「観察者」が、それを常に見てくれている状態になりました。

 

エゴが騒いでも不安になっても

深海の波が立たないような、心の深いエリアからその様子を観察しています。

むしろそちらを主体として自分の中に存在させて、

エゴの言い分を手に取るようにして

「そうかそうか、そう感じるんだね」

と聞き役になったり包み込んであげたり。

ときには何も言わず見つめていたり。

 

すると、

悩みもするし

泥臭いし

ムッとするし

感情的になるし

泣きたいときは声を上げて泣くし

弱いし

怒るし

に自分が支配されなくなるんです。

ちゃんと流してあげよう、に、なるんです。

流すところも観察する。

流すと終わる。楽になる。もとに戻る。

 

心の深いエリアと繋がって(体感して)、

観察者を徐々に大きくして、

観察者主体で生きる。

実は、こちらが「本当の自分」。

 

この観察者は私にとってワンダーチャイルドだったり源意識だったり。

それは誰もが持っているものなので

心の探求とは、悩みや生きにくさを軽減するとともに

それがあることを思い出していく作業でもあるのです。

私にとっては、それが「自分であることの尊厳を取り戻す」ことにもなりました。

 

ここ、みんなと分かち合って喜び合いたい~~~♪(○≧▽≦○)(私の中のワンダーチャイルドより)

 

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投稿者プロフィール

あらいかずこ
あらいかずこ
あなたとあなたの魂を繋げるカウンセラー・ピアノ講師・愛猫家。

我が子の不登校をきっかけに心理に興味を持ち、「ビリーフリセット心理学」認定カウンセラーに。その後も「いのち・魂」をテーマとする自己探求を続け、「魂と繋がり軽やかに生きる」カウンセリングを提供している。
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