母からの卒業~ビリーフの怖れと向き合いながら~
結構カミングアウト的な記事です。
今日は友人とランチの約束があり楽しみにしていたのに、朝からとてもドキドキしていた。
それは、友人か提供してくれる情報の中で感じた違和感を、彼女に伝えようと思っていたから。
すんなりと受け入れられない部分がある。心がザワつく。その理由も明白。
できれば今後もお付き合いしていきたい人だから。大好きな人だから。大切な人だから。
適当に相槌打って自分の気持ちをごまかすことはしたくなかった。
私の違和感をちゃんと伝えたかった。
しかし、ここで私の根深いビリーフと向き合うことになる。
「人の期待に応えなくては」
「その人にとっての理想とする姿でいなくては」
私はどうやら「その人にとっての理想像」さえ勝手に想像してしまい、その枠に収まっているうちは心地よく居られる。
しかしその枠から自分がはみ出てしまうと自覚したとたん、言い知れぬ不安が襲い掛かる。
そこまで思い煩う必要はないのにと頭では分かっていても、心が勝手に、しかも大きく反応するのである。
これがビリーフ(思い込み信じ込み)からくるものであると、わかっているのに
人の期待に応えないと叩かれる、否定される、という恐怖感が襲い掛かるのである。
自動スイッチのように心が反応する。
実は
これは母との関係に由来する。
反抗期もなく、子供時代は(私が勝手に想像した)母の理想とする子供としてその枠の中に収まってきた。
結婚し子供が生まれ、仕事との両立のため育児をサポートしてもらう中でも母との関係は良好だった。
母との関係がギクシャクし始めたのは、子供に手がかからなくなりはじめたころ。
少しずつ自由な時間が増えてきて、自分のための時間を満喫したいと思う私と、
いつまでも娘家族と関わっていたい母との間に、少しずつ、少しずつ、ずれが生じた。
私たち家族のことを「そこまで考えなくてもいいよ」「そこまで手伝ってくれなくても大丈夫だよ」と言うと
「私の仕事を取らないで」と言われたこともある。
「私も40才過ぎの大人なんだから」と言うと「娘はいつまでも娘だから心配なんだよ」と言われた。
母に報告なしで行動すると「私は聞いていない」と、知らせていないことに不服を伝えてくる母。
その窮屈さに耐えかねる思いと、母を悲しませてしまうという罪悪感の狭間で私は悶絶した。
遅すぎる反抗期。
封印しきれない感情。
「もっと私を自由でいさせてほしい」
この一言が言えなかった。
この願いはとても切実なのに、これを伝えると母を悲しませる。
孫の世話であんなに関わってくれたのにここで母を悲しませたら、私はとんでもなく冷酷な娘だ。
それどころか母の逆鱗に触れるかもしれない。
40代の娘が、70代後半の母に、こんなに脅威を感じていたのである。
しかし、我慢が限界に達したとき。思い切って伝えた。
その時の足がすくむようなビクビクするような感覚は今も忘れられない。
残念ながら私の気持ちは汲んでもらえなかた。
「こんなにやってきてあげたのに」
「もう一緒に住めない。私はこの家を出ていく。いや、おまえたちが出ていくべき」
と憤慨され、母を悲しませてしまった罪悪感を思い切り植え付けられた。
しかし、この一件で私はかえって冷静になった。
どんなに否定されても、言いたいことが言えると少なからずせいせいした。身体の緊張感も緩んだ。
吐き出せたことで「念が晴れた」とでも言おうか。
どうやら傷つけてしまった母には悪いことをしたが、このままでいたら私がどうにかなってしまう。
とりあえずその事態は免れた。
言いたいことを言うって、どんな修羅場に遭おうとも自分を保つために大切だな、と痛感した。
母も私が打ち明けた思いを受けて何かしら心持ちに変化が生じたのか、以前ほど干渉してこなくなった。
母が私を本当に尊重する姿勢になったのは、娘が不登校になってからである。
私と姉、二人の娘の子育てで全く未体験の「孫の不登校」には、さすがの母もなすすべもなく傍観するしかなかった。
そんな経緯の中で、話を元に戻します
私はそんな母との関係から未だ昇華しきれないビリーフを抱えているので
友人の枠から外れるであろう「正直な発言」をすることにものすごく心が揺れ動いていた。
しかし、ビリーフの仕組みが分かっている私は、このビリーフをさらに緩めるためにあえて伝えようと決心した。
ビリーフは個人的な環境下で私の心にインストールされたもので、本当のことではないから。
友人は母ではないから。母とは違う人だから。
「叩かれる」「否定される」という怖さは私の勝手に描くストーリーだから。
そして、「私はこう感じる」を友人に伝えたら。
ほら、やっぱり。ね。
友人は柔らかいクッションのような感性で受け止めてくれたよ。
友人と私の関係はそのままだよ。
お互いの思いを伝え合って、本音も言えて、さらに安心できる関係になったよ。
こうしてまた1つ、ビリーフが緩みました。
母のフォロー
最後に母のフォローを。
ビリーフ・心の深掘りをしていくと、ほとんどの人がお母さんとの関係性・影響を絶大に受けています。
ガッチガチに「こうあるべき」という枠を作り、その理想的な路線を外れることなく生きてきた母。
母も、その時代・その環境の中で生き抜いていくために必死だった。
15才の思春期に母親(私にとっての祖母)を亡くし、甘えられない環境で大人になった母。
鎧も必要だっただろうな。周りに迷惑をかけてはいけない、という思いもあっただろうな。
父と結婚して共働きしながら子供を育て上げ、一直線を走って来た母。
晩年の私の反乱(?)と孫の不登校と対峙するのも大変だっただろうな。
でも、私も真剣だった。
どちらも悪くない。
お互い真剣だったよね。
昨年母を看取り、私はさらに大きな葛藤に襲われることになる。
これは母から卒業するための儀式だったように思う。
本当に人間は、様々なものを心に抱えて背負って制限かけて生きている、複雑な生き物でありますなあ。
これから私は人の枠から外れることを怖れず、自分の感覚をもっと大切にして生きていきます。
投稿者プロフィール
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あなたとあなたの魂を繋げるカウンセラー・ピアノ講師・愛猫家。
我が子の不登校をきっかけに心理に興味を持ち、「ビリーフリセット心理学」認定カウンセラーに。その後も「いのち・魂」をテーマとする自己探求を続け、「心理」と「真理」を網羅した講座やカウンセリングを提供している。
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