自己否定の材料は心を解き明かす鍵なのです

自己否定って分かりやすく言うと「こんな私はダメ」ということなのですが

「こんな私」の「こんな」って何?って考えると、例えば

「こんな(悪い)ことを思ってしまう」とか「努力が足りない」とか「できない」とか「役に立たない」とか「根性がない」とか「頑張りが足りない」とか・・・

あげればキリがないですが、「こんな」って↑そんなことなんですね。

 

でも、それがそのままのあなたなんですよ。

と、ちょっと乱暴な言い方をしてしまいますがすみません。

 

例えば

「こんなことを思ってしまう私」

は、そう思っているんだからしょうがないんですよ。自分を否定してもその思いはなくなりません。

だって実際思っているんですから。

 

「思い」は消そうとして消えるものではないのです。

「こんなこと思っちゃダメ」と消そうとすると、消えない「思い」は行き場をなくして余計にあなたを辛くしてしまいます。葛藤、ですね。

放置すると違う形で辛いことが起きたりもします。

怖い予言のようですが、心の仕組みとしてはそうなんです。

 

じゃあどうしたらいいかというと、

「ああ、私はそう思っているのか、そうかそうか」・・・なんです。

その思いが湧いてくることに良い悪いをつけず、ただ認めるだけでいい。

気づくだけでいい。

むしろそれは、あなたの「本音」「本当の思い」に気づけて良かったね、なんです。

本音が分かると世渡り的に面倒だったりもしますが、心を麻痺させて感じなくするよりもずっとマシです。

 

「そんなこと思っちゃダメ」という声は、実はそれまであなたを支配してきた人たちから刷り込まれたもの。

親・先生・・・

ここに気づくとちょっと辛くもなりますが、それは一度ワキにおいて置き、

ここで一番何が言いたいかというと、

自分の中から自然に湧き出る思いは受け止めてあげてね、ということです。

受け止めるまでいかなくても「こう思っているんだなー」と、その思いを傍観してください。

それだけでいいんです。

 

もうひとつ書いてみようかな・・・

「努力が足りない私」

そもそも努力ってなんでしょう。

努力が必要なのにそれが足りていないというのは・・・

本当はやりたくないことなのでは?!

 

昔、ピアノ・音楽に邁進していたころの私がこんな↑言葉を聞いたら

一番避けて通りたいことを言い当てられて路頭に迷っただろうな~~(しみじみ)

今だからこそ「そのとおりです!」とひれ伏すこともできるけれど。

 

頑張って努力が必要で・・・ということは本当はやりたくないことなんです。

「本当はやりたくないんだ!」に気づいてしまうとショックだったりもしますが

でも認めちゃうと楽になります。

そして「この努力は本当に必要?」と自問自答してみると

「いや、そうでなくてもいいかも・・・」となることが多々あります。

 

「できない」「役に立たない」・・・

長くなるのでここまでにしますが、「できない」「役に立たない」などの自己否定の材料となる「私」も、

ちょっと距離を置いて考察すると「べき」「ねば」に縛られていることに気づきます。

 

なぜ「そのままの私」じゃダメなのかな?

どんな「べき」「ねば」に縛られているのかな?

 

ビリーフや心の探求でその「なぜ」が解き明かされていきます。

そして、「あれれ、私ってそのままで良かったんだ」が腑に落ちると

「そのままの自分」にダメ出しする必要がなくなってくる。

それだけでもかなり楽になります。

投稿者プロフィール

あらいかずこ
あらいかずこ
あなたとあなたの魂を繋げるカウンセラー・ピアノ講師・愛猫家。

我が子の不登校をきっかけに心理に興味を持ち、「ビリーフリセット心理学」認定カウンセラーに。その後も「いのち・魂」をテーマとする自己探求を続け、「魂と繋がり軽やかに生きる」カウンセリングを提供している。
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