「先生」がどんなに素晴らしくても

「先生」がどんなに素晴らしくても

師事するあなたの心が

緊張したり

萎縮したりするなら、

その先生はあなたの力を伸ばす人ではありません。

 

「先生」がどんなに素晴らしくても

師事するあなたが

「こんな私はダメなんだ」

「まだまだ足りていないんだ」

と自己否定するようであれば

その先生はあなたの資質を理解しているとは言えません。

 

「先生」がどんなに素晴らしくても

あなたの行く先が明るく照らされていなければ

本当にあなたのことを考えているとは言えません。

 

「先生」はあなたのために一生懸命指導してくれているのかもしれません。

でも、「あなたのために」が本当に「私のために」なっているのか。

 

「この先生と合わない」

「この先生といて心地よくない」

という本当の思いを自覚したならば、

「じゃあどうしようか」

「自分はどうしたいのか」

という問いを立ててください。

 

その先生についていけないからと言ってあなたはダメではありません。

その先生に認められなかったからと言ってあなたに力がないわけではありません。

単にその先生とあなたとの相性が合わなかっただけのこと。

 

私は学生時代、厳しいレッスン、笑顔のないレッスンを受けてきました。

当時の先生をどうこう言うつもりはありません。

あくまでも「自分事」として書いています。

 

受験生をたくさん見てきた先生。

大学の教授だったり講師だったりする先生。

紹介してもらえて出会えた先生。

私はレッスンの日がくるたびに心が沈んでいたのに

「この先生についてくしかない」と信じ込んでいました。

親にも相談することなく

我慢強くレッスンを受けてきました。

そしていつしか、「音楽」が「音学」になり「音が苦」になっていました。

(この厳しいピアノ修行の世界は私の心の投影として展開されていたことも付け加えておきます。)

 

音楽のレッスンや技術を学ぶ場は時として「厳しさ」が伴い、

それがレッスン生の自己肯定感を大幅に下げていることが多々あります。

そして、

「そのままの自分はダメ」

「成果がなければ価値がない」というビリーフを作りだしている。

 

そこで鍛えられ耐え抜いてきた人がやがて「先生」になり、

「生徒の力を伸ばすため」に厳しいレッスンが繰り返される。

 

「音」は本来「楽(らく)」なもので「楽(たのしい)」ものなんです。

そこには学歴も優劣も関係ない。

音の持つエネルギーや波を身体で感じる心地よさを体感する。

それが音楽なんだ。

そのステージに立って探求する「表現」は楽しくてしかたがないはず。

そのステージに立てたから私は講師を続けていこうと思えたし、ご縁のある方をレッスンしたいと思いました。

 

音楽も「ビリーフリセット(思い込み・信じ込みを緩めて自分の「本当」を見つける)」なんですね。

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投稿者プロフィール

あらいかずこ
あらいかずこ
あなたとあなたの魂を繋げるカウンセラー・ピアノ講師・愛猫家。

我が子の不登校をきっかけに心理に興味を持ち、「ビリーフリセット心理学」認定カウンセラーに。その後も「いのち・魂」をテーマとする自己探求を続け、「魂と繋がり軽やかに生きる」カウンセリングを提供している。
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