「子育てする私」を低く見積もっていた私。
「家を出たい」んです。
家を出たい。
実はそんな思いが心の奥底にあります。
公言している時点でもはや「心の奥底」ではありませんが(笑)。
密かに抱いていました。
家を出れば自由になれる。
自由になれれば自分のために時間が使いたい放題。
自分のための人生が送れる。
家にいると「母・妻」の役割がエンドレス。
今日も明日も明後日も・・・
早朝のお弁当作り・日々の食事作り・片付け・食料の買い物・日用品の補充・掃除・片付け・4人分の洗濯物・庭の除草・家の管理・・・
散らかった空間のリセット作業。(かなり妥協していますが)
家にいると「やること」ばかりが目に付いて疲れてしまうんですね。
家で憩うことができないのです。
心を学ぶことで「揺れ動き」のレベルはかなり下がっているのですが、
(五十肩による)体調不良で「役割」に追いつかなくなり負担感倍増です。
だから家を出たい。
解決策は簡単で、家族に「手伝って欲しい」「もっとこうして欲しい」と言えればいいのですが、これが結構ハードルが高い。
それは、私の「インナーチャイルド」や「ビリーフ」が反応しているからなんですね。
そことリンクしているから、
嫌な顔されて私が余計に傷つきそう、とか
冷たくされそう、とか
臨場感たっぷりと妄想が膨らみます。
私の夫も子供たちも優しいです。
「家族は優しい」と分かっていながら頼れないんですよ。これがビリーフです。
母に甘える・頼ることを禁止してきたから、今の家族・特に夫に対して同様の感覚になるんですね。
なので、「こうして欲しい」を伝えるときはかなり勇気を振り絞っています。
かなり勇気を振り絞って伝えているので、こちらの思い通りにやってくれないととても残念に感じるし不機嫌になります。
「私ひとりで背負ってばかり・・・」とか
「もっと手伝ってくれてもいいじゃない!」とか
「ちゃんと気づいてよ!」とか
ジメジメ思っちゃう(苦笑)。
勝手に不機嫌になっている「妻」「母」を見て、夫と子どもはたまったものではありませんね。
そして、体調不良も手伝って「家を出たい」という思いが最近浮上しているので、放置せずちゃんと向き合う時期が来たようです。
そんな渦中にハッとさせられた記事が目に入りました。
私が学んだ「スピリチュアルプロフェッショナル養成コース」の師匠・本郷綜海さんのブログ記事↓
聖なる犠牲 ””宇宙理論、それはエゴかもしれない””
私自身が、「母・妻」であることに劣等感を感じていた。
子どもを授かり育てることで積み重ねてきたキャリアを緩めたり停止させたりしなければならないことにダメな感じを抱いていた。
私は収入がどんどん少なくなり、「変わらず働き続け稼ぐ夫」に引け目を感じていた。
「私は夫よりも下」という感覚を抱いていた。
そして、この綜海さんの言葉にノックアウト。
・・・
それは、同時にこの社会において
子育てや、子育てをする母親(父親)
の価値が著しく低く見積もられている
ことと
関係している気がする。
これこそもうどんな陰謀論よりも
現代人が自分たちに仕掛けた
陰謀だとさえ感じてしまう。
優しい言葉。
しかしここで気づかされた。
誰よりも私自身が、「子育てする私」を低く見積もっていた!!!!!!
そして、
「何者かにならなければいけない」
「お金を稼がなければ価値がない」
(これも綜海さんのブログ記事から抜粋していますが、この前後に大切なことが書かれているからぜひ読んでくださいね)
ともがき続ける私。
「お金を稼がなければ価値がない」はまさに私のビリーフで手放し中です。
子育てしながらもペースを崩さず働き続け稼ぎ続けた「母」を見て育った、という影響を大きく受けています。
そして、
この家にいると(母・妻でいると)自由になれないし、
この家にいると(母・妻でいると)自分のための時間が取れないし
この家にいると(母・妻でいると)自分の人生を歩めない
と思っているんです。
壮大なビリーフだな。
母・妻。「これだけのことをやっても賃金にならない」ことにかなり無力感を抱いているな~~~~
「子育てママが仕事復帰できる社会・働き続けられる社会」の実現に関心が集中している今、
「仕事に復帰しなくても稼がなくても安心して子育てができる社会」という視点も大切なのではないかな。
お母さんたちが「仕事をする・しない」を自分の感覚を尊重しながら自由に選択できる社会が理想的。
でも一番大切なのは、「母である」こと・「妻である」ことの誇りをまず私たちが持つこと、なのでしょう。
人を育てるって相当なものですよ。
母になる、母であるって、すごいことですよ。
(母にならない選択も勿論尊重したうえで)
と断言できるのに、私は「母である自分」をこんなにも低く見積もっていたんだなあ(汗)
そこに気づかされた私は家族に提案しました。
「家族会議を開きましょう」と。
私自身が「引け目を感じて言えなくて勝手に拗ねる」という構図から卒業したいから。
私が勝手に解釈している「母・妻という役割の呪縛」を解きたいから。
同じ「家庭」というフィールドで過ごしている者同士、感じていること・伝えたいことをシェアし合う。
ちゃんと家族で向き合う時間を持つ。
夫の提案で、しばらくは「週1」で開催しよう、ということになりました。
子供たちも大きくなり、家族4人それぞれのスケジュールに追われているからこそ、家族で向き合う時間は貴重なものとなりそう。
お互いの感覚の違いを尊重しながら向き合えるといいな、と思います。
私は「母として妻として」勝手に抱いてきた「べき」「ねば」を脇に置いて、ちゃんと弱音を吐きます。「困っている」を伝えます。
そうね、なんかいい感じです。
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投稿者プロフィール
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あなたとあなたの魂を繋げるカウンセラー・ピアノ講師・愛猫家。
我が子の不登校をきっかけに心理に興味を持ち、「ビリーフリセット心理学」認定カウンセラーに。その後も「いのち・魂」をテーマとする自己探求を続け、「心理」と「真理」を網羅した講座やカウンセリングを提供している。
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