旅行記その3・変容の日
フリーの日。まずは「海を眺めてボーっとする」ために、路線バスに乗りシトロン湾に行きました。どこに行っても人が少なくてゆったりと時間が流れています。
カモメも至近距離で羽を休めています。
しばらくの間、ただただ澄みわたった海・空を眺める。サンゴ礁に囲まれているので波が穏やか。日々の喧騒が遠のきます。
「スケッチでもしてみるかな・・・」
絵を鑑賞はしても自ら描くことは全く無頓着だったのに、ツアー参加者全員に配られたスケッチブックをなんとなく持ち出していたのでそんな気になりました。
青のクレパスでヒューっと水平線を描く。ここからが気づきの始まりです。
「ああ、こんな線じゃないのに」
「こんな色を選んでどうするの」
「斜め塗りすることしか能がないのか」
「船の形がおかしい」
「なんじゃいな、このカモメ」
・・・・・・心の中でジャッジしまくりなんです!こんなに開放されて贅沢な空間の中で、未だ自分の一挙一動を厳しくジャッジしている自分がいることに愕然としました。
ビリーフ(無意識レベルにインプットされている思い込み・信じ込み。その人の生き方・行動パターンに大きな影響を及ぼすもの)の勉強をして自己否定の観念が薄くなっていると思っていたのに、まだこんなに否定する自分がいたなんて!
しつこい。擦り込まれた観念を取り除くのは本当に大変。
悲しくなりました。
でも、まがりなりにもにビリーフリセットカウンセラー。その知識があるからこそ今、このタイミングで自分のビリーフを掴めたんだ。
「下手だ、ダメだ」とジャッジしながらのスケッチは決していい気持ちはしないけれど、あえて描き続けることにしました。「ジャッジする思考」を客観視してみることにしたのです。
「おまえの絵は下手だ」と私の思考が言い続けます。
「うるさいなあ。うまいとか下手とか、どうでもいいでしょ。」
思考が二つになり言い合いしてます。その間に居ながら、私は描き続けます。
この絵をそのまま認められるか・・・・これ、すごく鍵な感じがしたのです。
写実的でなくてはとか、技術がなければとか、そんなことに囚われていたらいつまでたっても自己否定の思考から抜け出せない。
で、描き上げた絵を娘に見せたら
「わ~、いいじゃんいいじゃん!」
と褒めてくれた。心から発しているのだと分かります。
「こんな下手な絵ですみません」
なのか、
「うふふ、これが私の中から出てきた絵です♪」
なのか。
楽しむというよりも葛藤しながらの絵だけど、なんかいい味出してるでしょ?
「世界は自分が見たいように見えている」というのは、こういうことなんだなあ・・・と実感。
絵の裏面にしたためた言葉
一本一本の線、一色一色の色、素直に認めて。素直に感じて。
良いも悪いもない。出来る出来ないもない。上も下もない。
ただ、このような形で出てきた。それだけ。
そこにジャッジを入れずに、人からの評価も気にせずに。
ただただそのままを認める。自分の中から出てきたものを慈しむ。
「規律」「正しさ」「成果」「競争」の世界からの完全なる脱皮・脱却。
ただ「在る」ことそのものが、既に祝福されている。
満たされている。恵みに気づく。
大いなるものへの愛・感謝と共に、ただ、流れのままに。
娘も何か描き始めました。
続きは次回に。
投稿者プロフィール
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あなたとあなたの魂を繋げるカウンセラー・ピアノ講師・愛猫家。
我が子の不登校をきっかけに心理に興味を持ち、「ビリーフリセット心理学」認定カウンセラーに。その後も「いのち・魂」をテーマとする自己探求を続け、「心理」と「真理」を網羅した講座やカウンセリングを提供している。
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