幸せなのに退屈。

内容とあまり関係ないけどあまりにも可愛くて惹きつけられた写真を載せます(笑)。

 

今、結構暇なんです。

ここまで平穏な日々は物心ついて初めてじゃないかな。

 

不安がほとんどない。

時間の余裕がありすぎるほどにある。

子供は勝手に成長している。

大黒柱の夫もいる。

大好きな猫もいる。

心の深掘りのラスボス・母は一昨年看取り身体に症状が出るほどの葛藤もしたけれど、今は「どこまでも愛の人だった」という視点に立っている。

 

心の探求は未だ途上だけど

心の探求をしてきたからこその「今」がある。

ビリーフを緩め、

インナーチャイルドを癒し続け、

「怖れ」「不安」の心のフィルターをどんどん薄くして

自分の軸を取り戻す。

そして本質の感度をあげて本質を羅針盤にする。

時には怖くて後退もしながら。

何年がかりでたどり着いた「平穏な日々」。

ここまできたか、という思いになる。

ここまできたんだな・・・

 

しかし人間はどこまでも身勝手なもので。

なんとなんと、「退屈」に感じている私がいる。

 

「刺激が欲しくて地球に生まれてくる」という説に、なるほど、と頷いてしまう。

平和すぎると退屈なんだ。

悩んだり「忙しい」と文句言いながら動き回る日々って、それなりに楽しいことだったんだ。

 

OSHOカードの「退屈と向き合いなさい」という言葉を思い出す。

 

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発掘した私の中の「本質」は、無邪気でのんびりで「今至福」であることを最も喜びとする。

本質は、旧観念時代(心の探求をするまえ)の自分自身に「こう在ろう」と設定したキャラと反対の性質が出てくることが多い。

頑張って来た人の本質が穏やかだったり。

冒険を避けてきた人の本質が実はアクティブだったり。

 

私はどうやら遊び心満載で生きていきたいのだ。

 

セミリタイア状態の今。

何もしなくても満たされているし愛されている。

遊ぼうとすれば遊べるよ。

求めている世界にたどり着いたでしょ。これでいいんでしょ。

なのになんで退屈なの?と、自分に問う。

 

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先日、1人で映画を観に行った。

平日朝イチにも関わらず映画館はそれなりに混んでいて、元気な高齢の方々で賑わっている。

その中にいる私。

身体がゾワゾワしてきた。

「この時間を私は味わっていいんだ」と思ってみても

「実はどこかで否定している」感覚があることを否めない。

旧観念(頭の声・マインド)が小さな声で私に何か言ってくる。

 

〇働かざる者食うべからず

〇みんなから取り残されているねえ

〇前はあんなに沢山の人の役に立っていたのに

 

うん、そんな感覚が残っているんだな。

それが身体の中で疼いてゆったりしていられない、急き立てられる感じになるんだな。

 

フルタイムで定年まで働き続けた母を見てきたことも大きく影響しているな。

帰宅後も家事を済ませて夜中まで残業していた母。

「平日」とは「働く日」だと刷り込まれてきたから、この感覚を払拭するのはなかなか難しい。

そして「私も母のように仕事を続けるんだ!」と頑張っていたので、流れに流れて平日に時間を持て余す今の自分をどこか不可思議に感じるのだ。

そして上記の旧観念の声が響いてくる。

 

でも、もう元の世界に戻れないし戻りたくないよ。

誰のものでもない、私にとっての、私が選んだ「今至福」の世界に立ち続けるんだ。

旧観念の声は今も聞こえてくるけれど、本質の声・本当の声を羅針盤にすると決めたんだ。

それは体感で分かる。

「幸せ」は「成るもの」ではなく「あるもの」。「今ここの感覚」なんだ。

「今ここ」の感覚を大切にすれば、それはもう「幸せ」なのだ。

過去の経験も未来に描く「想像」も関係ない。ただ今を味わえばいいのだ。

 

それを腑に落とすまでずいぶんと時間がかかった。

 

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初めて「本質・ハイヤーセルフ」の声をキャッチしたのは、昨年受講した本郷綜海さんの「第7期スピリチュアルプロフェッショナル」の講座。

本当にこんなことってあるんだ。

しかし、それまでも不思議体験をしてきたので信じられた。

 

「豊かであることを受け入れなさい」

 

安堵感と共に、ため込んできた何十年分もの涙が温かく流れ続けた。

(追記・思い出した。初めてじゃなかった。別の場で「みんなを連れてきなさい」という言葉を受けったこともあります。が、こんなに確信したのは初めてだったので・・・)

 

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「私は幸せです」と声高に言うのは未だはばかられる。

旧観念時代の私は不幸せ・非力な自分を無自覚にアピールしてきたから。

「まだまだ未熟で」

「私が至らなかったから・・・」

「困っています」

すると優しくしてもらえたり「しょうがないなあ」と許してもらえたり、目をかけてもらえたりする感じがする。

 

「幸せです」と宣言したら・・・今でも人々の怪訝そうな顔を連想するしこんなことを言われそう。

〇世の中なめんなよ

〇幸せはいつまでも続かないよ

〇のんきだねえ

〇不幸せな人たちの気持ちも考えなさい

 

でも、これは連想・勝手な妄想に過ぎない。

もう引きずられないぞ、と決意する。

 

これからの私は

「豊かであることを受け入れなさい」

というハイヤーセルフの声に従い、豊かさを受け取り、今後も旧観念の囚われに気づいたらその度に浄化させながら今生を楽しむのだ。

そして宣言する。

「私は今、豊かで幸せです」

 

心の探求は「幸せを追求する」のではなく、「幸せであることを探求する(自覚する)」プロセスなのだ。

うん、これだ、これ。

これまた楽しい冒険となりそうだ。

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投稿者プロフィール

あらいかずこ
あらいかずこ
あなたとあなたの魂を繋げるカウンセラー・ピアノ講師・愛猫家。

我が子の不登校をきっかけに心理に興味を持ち、「ビリーフリセット心理学」認定カウンセラーに。その後も「いのち・魂」をテーマとする自己探求を続け、「魂と繋がり軽やかに生きる」カウンセリングを提供している。
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